小谷光毅選手入団インタビュー
はじめに
こんにちは。キャリアデザイン部です。
前回は、体育会サッカー部出身3人の仕事とサッカーの両立に関する対談を公開しましたが、いかがでしたでしょうか。
今回は、昨シーズンいわてグルージャ盛岡(J3)に所属していた小谷光毅選手の入団インタビューになります。
野村證券を経てドイツでプロサッカー選手になり、Jリーグで契約更新がある中で、この大きな決断をした背景や今後自身が目指す姿について熱く語ってもらいました。
この記事がサッカー界に関わる人だけでなく、読んだ全ての人の一歩踏み出す勇気やきっかけ、また誰かのエールになればと思っています。
品川CC入団のきっかけ
ーーーまずは、小谷選手が品川CCに入団を決断した背景を教えてください!
品川CCというチームがあることは、明治で同期だった将太朗(#26|工藤将太朗)がいたので知っていました。
グルージャで一緒だった友也くん(#6|福田友也)も去年プロから品川に入って、「仕事をしながらサッカーができるいい環境があるよ」と聞いていて、興味はありました。
そんな中で、自分もサッカーとの関わり方を少し変えようかな、と考えていて友也くんに相談した時に「吉田さんの話を聞いてみたら?」って紹介してもらったんですよね。
実は吉田さんのことは、将太朗の結婚式で挨拶している姿をお見掛けしてて。
今回お話した時も、「あの時同じ会場にいたんですよ。笑」って話から始まりましたね。笑
ーーーすごい偶然。笑 その時吉田さんとは他にどんな話をしたんですか?
まずは、吉田さんから品川CCがどんなチームか教えてもらいました。
友也くんから「仕事もサッカーも全力」という理念は聞いていましたが、吉田さんからはより具体的な話を聞けて、このチームに対して可能性を感じましたね。
最終的に入団を決めたのは、J2やJ1にステップアップできる環境がなかった事も理由の一つではあるけど、仕事もサッカーも全力で取り組める環境に身を置きたいと考えていて。
品川こそ自分が求めている環境だと思いました。
ーーー「仕事もサッカーも全力で取り組める環境に身を置きたい」と考えるようになったのは、ドイツに行く前の野村證券での社会人経験も影響してますか?
それはあると思いますね。野村にいた期間自体は半年くらいなんですけど、当時は1ヶ月の研修後すぐに新潟支店に配属されて営業をしていました。
その中で「サッカーにチャレンジしたい、チャレンジしないと後悔する」という思いもあって、最終的に「チャレンジできるうちはチャレンジしよう」と退職しプロになる道を選びました。一方で仕事がめちゃくちゃ楽しくてやりがいも感じてました。
日本に帰ってきてJ3で3年間、だんだん自分の立ち位置やリーグのレベル感を理解する中で「ステップアップするのか、サッカーと別の関わり方をするのか」を真剣に考えた時に「どっちも全力でやりたい」という答えが出たのは、この時の経験も影響していると思います。
ーーー野村證券時代も、仕事とサッカーの両立を考えたことはある?
んーあまり考えなかったかも。
新潟にも社会人サッカーチームはあったんですけど、なかなか野村で働きながら両立できる環境はなくて。配属が東京とか大阪で、品川みたいに仕事とサッカーの両立を掲げているチームがあったらどうだったかなあ。
あとは、その時期ちょうどリオ五輪があって、一緒にプレーしていた選手たちがオリンピックの舞台で活躍しているのを見て、「こいつらがこんなに頑張っているのに、何で自分はこの舞台にチャレンジしていないんだろう?」「サラリーマンは今じゃなくてもできるやん」って思ったんですよね。
この時に、一番「プロにチャレンジしなかったら後悔する」という思いが強くなりました。
野村證券を退職して、単身ドイツへ
ーーーその後実際にプロにチャレンジされたと思うんですけど、何故日本ではなく海外を選んだんですか?
サッカー選手になる以上は、日本代表を目指したい。
そうなるためには、どこに身を置くことが一番いいか考えた時に、日本だとまだまだ経歴や監督のネットワークが強くて、ステップアップしにくい環境があると思ったんです。
海外であれば、誰も自分のことを知らない環境で、実力だけで勝負できる。
そこでステップアップしてからでも代表を狙えるだろうし、日本に帰ってきた時もJのレベルの高いチームにいけるんじゃないかなって考えたんですよね。
ーーーその中でドイツを選んだのは?
僕に足りないところを鍛えられると思ったからですね。
ドイツのサッカーを見た時にフィジカルの強さや守備の激しさがあって、そこを伸ばすことができれば、日本でもっと活躍できると思いました。
僕の場合は、ドイツに行くにあたって代理人をドイツ人の人にしたんです。
日本人の代理人より、現地人の方がマーケットやそれぞれの特徴に詳しいかなって思って。
海外って行こうと思えば正直誰でも行けると思っていて、カテゴリーを選ばなければ
ドイツなんて11部とか12部くらいまであるし。
その中で自分の望むレベルや環境を見極めることは大事だと思いましたね。
ーーードイツでのプロ生活は想像通りでした?
そうですね。監督やコーチはもちろん、観客の人までもがサッカーを理解していて、活躍すればめちゃくちゃ声をかけてくれるし、ダメなプレーをすれば罵声を浴びせられまくる。笑
4部と5部のチームのトライアウトを受けて、どっちもオファーはいただきました。
ドイツに行ったタイミングが1月で残りハーフシーズンだったので、4部で全く出れずに半l年間で契約満了になるよりは、まずは5部でしっかり試合に出て、試合に出ながらドイツのサッカーとドイツ語を学んで次のシーズンでステップアップしたほうがいいと思って、まずは5部のチームに決めました。
実際に次のシーズンで4部のチームに移籍して、初めはそんなにでれなかったけど少しずつでれるようになって。ウィンターブレイクを挟んでまたシーズンが始まった時にはスタメンででれるようになりました。
ここからの半年間しっかり出れたらまた次が見えてくるな、というタイミングで怪我をしてしまって、その怪我が日本に帰ってくるきっかけにもなりましたね。
ーーードイツから日本に帰ってきて、ギャップはありましたか?
一番最初に思ったことは、サッカーに限らず幸福度の違いかな。
ドイツでは、プライベートを充実させることで仕事も頑張れるっていう考え方があって、プライベートの時間を作り出すために仕事を効率よくやって、仕事が終われば好きなことをやるっていうのが普通でした。
みんな決まった時間になるとスパっと帰っちゃうんですけど、仕事をやっていないかっていったらそうではなく、すごい生産性が高いんですよね。
野村の時にロンドン支社に行かせてもらった事があって、その人たちも同じで、そういうメリハリって大事だなって思うようになりました。
日本も、少しずつ時代の流れに沿って変わってきているものの、まだやればやるだけ評価される文化が残っています。自分が活躍することで、両方充実させる考え方や評価基準が根付くのをスピードアップさせていきたいな、と考えています。
僕の中で大きなテーマが「日本を世界で戦えるようにしたい」なんですよ。
「元サッカー選手でもビジネスで活躍できる」これをスタンダードにできれば、もっとプロに挑戦する人も出てくるんじゃないですかね。
大卒の選手でJ3であれば就職しよう、って考えている選手も多いと思います。
プロで活躍できるレベルがあるのであればチャレンジしてから社会人をやる、もしくは社会人しながらサッカーもやるっていう選択肢を持ってもいいんじゃないかなって。
僕が大学サッカー、野村を経て海外、Jリーグを経験したからこそ感じていることですけど、そういう人が増えればそれが日本サッカーの底上げにも繋がると思っています。
プロ時代のビジネスへの意識
ーーープロ時代はビジネス観点を身に着けるために、何かやっていたことはありますか?
自分で情報を取りに行ってましたね。
例えば、スポンサーしてくれている企業の社長にアポ取って会いに行ったりしていました。
チームのスポンサーってだいたい100社くらいあると思うんですけど、それってほとんどの業種を網羅してるわけじゃないですか。いい意味でサッカー選手ということ利用して、100人の社長と会えて100社の話を聞けるわけですよ。
サッカー選手の中には、ビジネスやセカンドキャリアに関しては受け身の姿勢の人が多いと思う。でも社長の方々にとっては、自分のビジネスに興味を持ってくれて会いに来てくれる事はうれしい。だからもっと応援しようってなるし、こちらも色々なビジネスを知れて、お互いにメリットがあると思うんですよね。
ーーー自分でスポンサー企業の社長に直接連絡してアポを取っていた?
そうです、全部自分で連絡して「伺ってもいいですか?」って!笑
僕の場合、野村の時に営業で経営者に会ってビジネスの話を興味持って聞いていた経験が
その時の行動力とか考える力、突破力に繋がっていると思います。
どういう世界があるのか知らないのであれば、自分で取りに行く努力も大切だなと思います。
今後自身が目指す姿
ーーーそのこれまで身に着けてきた力を活かして、どういうビジネスマンになりたいですか?
一言で言うと、「人間、小谷のファンを作る」。
サッカーだけじゃなくて、仕事においても自分自身のファンを作るって大事だと思うんですよね。
僕は野村時代からずっと、一回会った人とどれだけ関係を持ち続けられるかってことを
大事にしていて、一緒に過ごす貴重な時間は全力で楽しもうとしています。
実際に爆笑してることも多くて、お互いにまた会いたいと思って長く関係が続くことが多いですね。
野村の時のお客さんは試合を見に来てくださったり、今回の決断をする時も相談させていただいたりしていて今でも関係が続いています。これからもそれは大事にしていきたいですね。
あとは、さっき触れた「日本を世界で戦えるようにしたい」っていうテーマに付随して
サッカーだけじゃなくてビジネスの面でも日本を世界で戦えるようにしたいと思っていて、今回入社を決めたマネーフォワードは、それが実現できると思っています。
ーーーマネーフォワードのどういうところにそれを感じている?
野村を辞めてドイツに行ったばかりの時は給料が少なくて。4部に上がってからはそれなりにもらえるようになったけど、その時にお金があってもなくてもお金のことって悩みの一つだなって思ったんですよ。
その悩んでいる時間ってすごく勿体ないな、その時間を自分のやりたいことの時間にできれば人生はより豊かになると思っていて、その考え方がマッチしているんですよね。
マネーフォワードは「お金を前へ。人生をもっと前へ。」っていうミッションを掲げていて、やりたいこともマッチしているし、提供しているサービスやIRを見ても将来性を感じました。
何人か社員の方とお会いさせていただいた時も、この人たちと一緒に日本を盛り上げていきたい、と思ったんですよ。
日本はおもてなしとか心の豊かさという素晴らしい精神が根付いているのに、世界で戦えていない現状を、FinTechで日本の金融を変え、ひいては日本を成長させ、世界で戦えるようにしていきたいと思ってます。
キャリアに悩んでいる方へのメッセージ
ーーー最後に、キャリアに悩んでいる方にメッセージをお願いします。
キャリアに悩んだとき、色々な人に相談すると思うんですけど、その時にもらったアドバイスって全部正解だと思っています。ただ結局決めるのは自分。
僕は、何かを選ぶときに「自分が成長できるか」「自分がわくわくできるか」という2つの価値観を大事にしています。
周りに何か言われたって、自分の中で大事にしている価値観の下、自分で選択すればどんな道でも頑張れると思います。
他の人の言う通りにするだけだと、自分自身納得していないから他責になってしまったりもしますしね。
今後のキャリアを考えるときに、何から始めれば分からないっていう人も多いと思います。その時に受け身の姿勢ではなく、自ら情報を取りに行ったり、人脈を広げてどんな世界があるのかを知っていくことで、自分の考え方や視野も広がると思います。
僕は、「ビジネスマンとして成長していきながら、サッカーでも上を目指す」その環境に魅力を感じて、ここでやりたいという強い意思を持ってJの契約更新を断ってまでこの選択をしています。
Jリーグも日本社会も盛り上げていきたい、それができる環境が品川だと思っています。
同じ思いを持った仲間と一緒に「仕事もサッカーも全力」で取り組んで、サッカー選手の視座や社会的価値が向上すれば、もっとサッカー選手を目指す人も増えるし、Jリーグのレベルが上がって世界で戦えるようになる。
世の中には、「サッカー選手ってどうせバカでしょ。」って思って言う人もまだいると思うんですよ。そうじゃないってことを、自ら体現して、企業側からも「サッカー選手に是非きてほしい」ってくらいにしてやろうと思っています。
プロフィール
小谷 光毅
生年月日:1993年4月25日
出身地:大阪府
経歴:
TROPPO FC
ガンバ大阪Jr.ユース
ガンバ大阪ユース
明治大学体育会サッカー部
BCF Wolfratshausen
VfR Garching
グルージャ盛岡
ブラウブリッツ秋田
いわてグルージャ盛岡
現職:
株式会社マネーフォワード